初めてみたものの、そんなに和歌しらねえって放置していた和歌妄想入門。
しかし、お正月も近づいたところで、
私には百人一首がという武器があることに気づいた。
北海道ですから、百人一首は「読めねえよ」っていう木札で行う
「下の句かるた」でございます。
大人になった今では、だいぶん木札が読めるようになりましたが、子供の頃は苦労しました。
ひらがなで比較的わかりやすいものだけ、自分の前に集めたものです。
そして「下の句かるた」なので、下の句しか読まない。
どんな歌なんか知ったこっちゃない。
こんなようでは、昔の人に申し訳ない。
ということで、本日は百人一首から。(これであと99句はいけるわけ)
私が一番、札のディティールがカッコいいと思っている
「みをつくしてもあはんとぞ思ふ」より、紐解いていこうではありませんか。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
逢えなくて、こんなにつらい思いを
しているのだから、もうどうなっても同じ。
いっそ、あの難波潟のように
この身が滅んでもいいから、もう一度あなたに逢いたい。
この歌を読んだ元良親王というのは、大層な好色漢だったそうです。
「みをつくしても、みをつくしても」と、さぞかし絶倫だったことでしょう。
実は、この歌は不倫相手の褒子さんに贈ったものでした。
不倫が周囲にばれてしまい、会えなくなってしまったそうです。
残念ながら、褒子さんからの返歌はなかったと言われています。
「私も逢いたいよ。すごく逢いたい」と、短冊に想いを綴っては破り捨て…。「ダメっ!返歌しちゃダメっ!!私のバカバカ!!!」と、惑い…。「はじめからわかってたのに…こうなること」と、涙を流す、褒子さん。そんなふうに、私の今のモチベーションでは、切ない終焉がイメージされます。
その後ふたりはどうなったのか。続きは昼ドラ希望。
とにかく。
「あはん」は切ない歌だったのよ、わかる?子供の頃の自分。