les spacey espacent日本人がカキモノ公開中

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2013.03.06 Wednesday ... - / -
#儀式の意味
今日は曾祖母の四十九日法要。

「納骨」という儀式を初めて体験した。

自宅で祭壇に経を上げたあと
骨壷を持ってお墓に行き、さらしで作った袋に遺骨を移し入れる。
墓石を開けて、遺骨を中に納める。
一般的なお釈迦様の宗教だと、お墓を持っている場合はこうするらしい。

墓石を開けたのは初めてだった。
中では先祖や祖父の遺骨が、土に還りつつあって
本当に、人は土に還って行くんだと思った。

子供のころはひどく退屈だと思っていた弔いの儀式。
もちろんだけど、ちゃんと意味がある。

四十九日の間、残された人間はきちんと「生と死」の意味を考えなければならないらしい。
残念ながらこんな時にしか信仰心は生まれないので、難しいことはわからない。
けれど、儀式の間はとにかく何度も「さようなら」をすることを改めて知った。

亡くなった直後に「さようなら」
納棺のときに「さようなら」
出棺のときに「さようなら」
火葬のときに「さようなら」
納骨のときに「さようなら」

肉体に、魂に、それぞれの哀しみに。
お経の意味はわからなくても、きっとそれが供養というものなのだろう。

今日、曾祖母は「あの世」に着いて、生まれ変わる準備をするようだ。
歩くのが早いから、きっとちゃんと着いただろう。

遺骨はきちんと、旦那様と同じ場所に還るようにした。
遺影もきちんと、ふたりぼっちになるように並べた。

最後の「さようなら」は届いただろうか。
2009.11.15 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#和歌妄想入門その1
きっかけはひとつの和歌だった。

憶良らは今はらむ子泣くらむそれその母もを待つらむぞ

中学校の頃、山上憶良が詠んだこの和歌に、「どんだけなの憶良!」と沸き立った私と友人。
しばらくは語尾に「らむ」をつけるが流行り、
今でも私と友人の間では、「らむ」は活かされているし、なぜか今でもこの歌だけは覚えている。

この歌は、内容も強烈だった。

恋だの景色だの故郷だの、ステキ!な歌が厳選されて掲載されている中、
宴は続いておりますが、私たちは家で子どもが泣いているでしょうし、
妻も待っていますので、もうおうちに帰ります。
っていうだけの歌だったから(当時の解釈で)。

けれど、改めて調べてみると、この歌がなぜ山上憶良の代表歌か、わかったような気がした。

この歌を詠んだ当時、憶良は会社で言うと「部長」的な立場だったらしい。
宴は、誰かが転勤してきた歓迎会。
でも、何でか部長以下の社員、みんな帰りたくなっちゃったようで。
「それなら」と、代表して憶良が歌を詠んだわけです。きっと、たぶん。
4次会くらいに行く道中です。きっと、たぶん。

すいません。私たち、今日ここでドロンします。
うちの部下は若いのが多いもんで、家で子どもが泣いているんですよ。
かわいそうじゃないですか、ねえ?
かみさんも待ってるでしょうしね。
こんな時間に帰ったら、怒られちゃうかも知れませんけど。
あははは。では、また明日!失礼します!

部下たちは、「さすが部長!これで僕たちも帰りやすくなったぞ!」と、なったかもしれません。
・・・たぶんね。



しかし後日、憶良は、上司の妻が亡くなったときに素敵な歌を詠んでいます。

妹が見しの花は散りぬべし我が泣く涙いまだなくに

妻は、毎年咲く楝(あふち)の花を楽しみにしていました。
それが散ってしまった今でも、私の涙は乾くことがありません。


憶良さん、すごくいい人だったんですね。


いろいろ調べていたら面白くて、ミーハー歴女の血が騒いだ。
和歌って面白いなぁ。
2009.11.03 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#傲慢なつぶやき
もっと素直に言ったらよかった。

もっと気づかうべきだった。

もっとカッコ悪く突き進むべきだった。

もっと未来のことなんて無視すればよかった。




きっと私たちは同じことを考えてるだろうな。

ひどく傲慢に、彼のことを考える。
2009.11.03 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
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