「生まれるまえに、生きていた」 act.002
「庄屋の娘」 20代前半 女子
鏡台の前でくるくる回る女は、ずっと欲しかった着物を姉からもらった八重。
それを格子の外から覗く男は、栄三郎。
ふたりして齢16。
栄三郎は八重のことが大好きでたまらなかった。
正確に言うと、八重のおっぱいが。
八重は、何期にもわたる庄屋で3人姉妹の真ん中に生まれた。
父は姉に入り婿を見つけるのに日々必死。
ちなみに姉は蛙のような顔をしていた。
まだ4歳の妹は父に溺愛され、八重は家族の中で一番気楽な存在であった。
器量が良くて人懐っこく、爆乳をぶらさげた八重は、村中の思春期男子の憧れ。
その中で、最も八重に近い存在は幼馴染の栄三郎。
ふたりは13になった頃から、人の目を盗んでは乳繰り合っていた。
貧しい草鞋屋に生まれた栄三郎にとって、それが何よりのステイタスだった。
「お八重ちゃん」
八重が格子の向こうからの声に気付き、栄三郎に駆け寄った。
「栄ちゃん、どうしたの」
「あたらしい着物、買ってもらったんだね」
「ううん。おねえちゃんのもらったの」
栄三郎はどうしても八重の胸元に目が行くのだった。
「おねえちゃんと違ってあたし痩せてないから、あんまり似合わないの」
それは爆乳だからだよ。栄三郎はその言葉を慌てて飲み込んだ。
「お八重ちゃん…今日も川んとこ、行かない?」
八重は黙りこくった。
「もう乳以上は触らんから!」
「声が大きいわ!栄ちゃん!お父さんに聞こえちゃう!」
最近、八重と栄三郎はそんな掛け合いを繰り返していた。
結局は八重はいつも、栄三郎の誘いに乗ってしまうのだが。
川を目指してふたりで歩く。
微妙な距離感を保ってはいるが、栄三郎にとってはこの瞬間がたまらない。
男たちがふたりを見て、こそこそ話しているのが見えた。
お八重ちゃんは俺のもの♪
栄三郎はニヤつきが止まらなかった。
その時、八重がふと足を止め、木の陰に隠れた。
前から歩いてくるのは栄三郎の兄、清次郎。
その端整な顔立ちは、歌舞伎の旅一座にスカウトされたこともあるほど。
「おお栄三郎、遊びに行くのか?」
「うん、お八重ちゃんと川に。あれ?お八重ちゃん?」
お八重は木陰から顔だけを出して清次郎を見ている。
心なしか、頬が赤らんでいた。
「こんにちは…清次郎さん」
「こんにちは、お八重ちゃん。今日も可愛いね」
お八重の頭の中で、清次郎の発した「可愛いね」が一瞬のうちに「結婚してください」になっていた。
「はい!」
清次郎は八重のとんちんかんな返事に貴公子の笑みを浮かべて去った。
気が気じゃないのは栄三郎。
八重の清次郎への想いに気付いてはいた。
ただ、この世で一番信じたくないことだった。
「栄ちゃん、今日あたし川にはいけない」
「…何で?」
「…どうしても、いけない」
八重は清次郎の去った方へ、ゆっくりと歩いていく。
「待って!お八重ちゃん!」
栄三郎は八重の肩を掴んだ。
はっと目覚めたような顔の八重。
「兄ちゃんのことが好きなの…?」
八重は、こくりと頷いた。
「俺は、お八重ちゃんのことが好きなのに?」
黙ったまま、八重は栄三郎の瞳を見つめていた。とても真っ直ぐに。
「栄ちゃんは…あたしのお乳が好きなだけよ」
そう呟いて、八重は小走りでその場を去った。
八重の言葉が図星すぎた栄三郎は、力なく地面に座り込み、小さくなっていく八重の後姿を見送った。